借金だけを相続放棄

借金だけを相続放棄できるか

借金は払わずに、プラスの相続財産だけを手に入れる方法はあるのでしょうか。

こんな方がいました。

「私には財産が自宅(土地・建物)と預金300万円があります。
しかし、消費者金融で作った借金700万円を抱えています。
私には妻と息子がいます。
どうにか妻と息子に財産だけを残せないかと考えています。

考えた結果、ある方法を思いつきました。
それは遺言と相続放棄を組み合わせた方法です。
遺言により妻に自宅を、子に預金全額を遺贈し、妻と子それぞれに相続放棄をさせるというものです。」

【遺贈】とは、被相続人が遺言でする贈与のことです。

遺贈を受けた相続人は、これにより相続人の地位と受遺者の地位を手に入れたことになります。
この両者は互いに関連性がなく独立した存在です。
一方が成立すれば他方は成立しないいとか、片方の権利を持っていることが他方の成立要件になっているという関係ではありません。
完全に別個の立場です。

完全に独立した権利であるため、異なる意思表示をしても問題ありません。
相続放棄を申述し、遺贈を承認することもできますし、また、その逆も可能ということです。

借入などの相続債務を免れるために相続放棄をし、遺贈を受ける意思表示をすることも認められてしまいます。
遺贈を受けた者は相続放棄をすることができないという法律はありません。
遺贈を承認した相続人も適法に相続放棄の申述ができます。
申し立てに却下事由があるものとして退けられることはありません。

相続放棄が適法に受理されてしまえば、その効果によって相続人ではなくなります。
相続資格が剥奪された以上、負の財産である債務を引き継ぐこともありません。

つまり、上記のケースだと相続権のない妻と子が遺贈を受けることになるので、相続人以外の者が遺贈を受けた場合と同様の処理がされ進んでいきます。
妻と子は相続財産に含まれる負債を免れ、嬉しいプラスの財産だけをまんまとゲットすることができてしまうのです。

しかし、このような行為がまかり通って許されるのでしょうか。

本ケースでは、相続人が借金の返済を免れて財産を取得できるのに対し、相続債権者は相続人から弁済を受けることもできず、さらに相続財産に強制執行をかけることもできません。
それで法的安定性や取引の安全を図ることができるのでしょうか。

この観点から法は次のような規定を置いています。

    **********
    民法424条
    1 債権者は、債務者が債権者を害することを知ってした法律行為の取消しを裁判所に請求することができる。
    ただし、その行為によって利益を受けた者又は転得者がその行為又は転得の時において債権者を害すべき事実をしらなかったときは、この限りでない。
    2 前項の規定は、財産権を目的としない法律行為については、適用しない。
    **********

この制度は、弁済資力がない債務者が、積極的に自己の財産を減少させる法律行為をした場合、債権者がその法律行為を取り消すことができる仕組みです。

たとえば、返済不能に陥った債務者が先祖代々、守り続けた土地を債権者に渡さないために、身内にその土地を贈与したとします。
この贈与契約を債権者が取り消すことは通常認められません。
しかし、債権者へ返済もしない債務者が自己の財産を守るためだけにした、この贈与契約を見過ごすわけにはいきません。

この贈与が有効に成立すると、債務者の責任財産が減少することになり、債権者が債権を回収できる確率は大幅に下がってしまいます。
債務者に弁済資力があれば問題ありませんが、今回は返済不能に陥っています。
債務者が自己の都合しか考えないこのような暴挙を認め、債権者の利益を犠牲にしたのでは社外秩序は守れません。

そこで、このような贈与などの法律行為を取り消せるような制度が創設されました。

■詐害行為取消権の要件■

この条文から読み取れる詐害行為取消権の要件は次の4つです。

  • 1.債務者が無資力であること

  • 2.債務者と受益者の双方が債権者を害することを知っていたこと

  • 3.債権者が詐害行為の前に債権を取得していたこと

  • 4.財産権を目的した法律行為であること

先の相続放棄の事例に当てはめ詐害行為取消権が成立するのか考察していきたいと思います。

まず事例の登場人物を整理します。

債務者 → 被相続人
受益者 → 相続人兼受遺者である妻子
債権者 → 相続債権者

このようになります。

1.債務者が無資力であること

無資力とはすべての債権者の債権総額を満足させるだけの資産を保有していない状態を指します。
絶対的な判断基準はなく、自らが負っている債務の額から相対的に判断されます。

1億円の資産を持っていても10億円の負債を抱えていれば無資力と認定されるでしょう。
逆に10万円しか持っていなくても1万円の借金では無資力と認定されることはありません。
本事案においては、被相続人はすべての財産を相続人へ遺贈してしまっているので財産が残っていません。
相続債権者は自己の有する債権を回収することはできません。
よって無資力と認定して問題ないでしょう。

2.債務者と受益者の双方が債権者を害することを知っていたこと

詐害行為取消権を行使するための要件として債務者のみならず受益者にも債権者を害する意思が求められていれます。
これは取引の安全を図るためです。

たとえば、受益者が不動産を買い、その契約に法的な問題はなかったとします。
それが後日、債権者の一方的な意思表示で取り消されてしまったらどうなるでしょう。
取引の法的安定性など期待できなくなってしまいます。
そこで、詐害行為取消権の成立要件には受益者についても詐害の意思を要求しているのです。

本事案において受益者にあたる相続人に詐害の意思は認められるのでしょうか。
相続人は相続債務の存在を認識しているからこそ相続放棄を申し立てているわけです。
そこには債権者を害する意思を認めることができます。

※詐害の意思について判例は、積極的に債権者を害する意思までは必要ないと判示しています。
債務者が財産を処分し、債務者の責任財産が減少することにより債権回収が困難になるとの認識だけで詐害の意思は充分だと判断を下しました。

3.債権者が詐害行為の前に債権を取得していたこと

詐害行為を取消すためには、債権を取得した後に詐害行為がされる必要があります。
これは、ある行為によって無資力となった者に債権を取得した者は自業自得で保護に値しません。そのためです。

ここでの債権を、借金の取立てだとすると、お金を貸付ける段階で資力がないことはわかっていたわけです。
お金を貸さないという選択肢もあったわけです。
それでも貸付けた以上、取引の安全を犠牲にしてまで、この債権者を保護する必要はありません。
そこで、詐害行為前に債権を取得していることを条件としました。

本件においても、詐害行為である遺贈前に債権者は債権を取得しているので問題ありません。

4.財産権を目的した法律行為であること

遺贈は、財産権を目的とした法律行為です。

以上の結果、被相続人の成した遺贈は債権者を害する行為と認定され詐害行為取消権の対象になります。
債権者は遺贈を取消し、遺贈対象物を相続財産に組み戻すことができます。
相続人が相続放棄を選択するのであれば相続財産を現金に換価する手続きに移り、相続人が相続を承認するのであれば相続人から弁済を受けることになります。

ちなみに、相続放棄は詐害行為取消権の対象になりません。
相続放棄は、財産権を目的とした法律行為ではありません。
判例も相続放棄の取消しを否定しています。

まとめ

相続放棄によって借金を免れ、遺贈により財産を取得したとしても詐害行為取消権によって遺贈を取り消される可能性は十分にあります。
おいしいところだけを持っていく邪(よこしま)な考えを目論んだとしても法はそれを無条件に許してはくれません。
ズルをすればそれ以上の負担が返ってくる可能性すら考えられます。
制度の悪用は考えず紳士に対応する姿勢を忘れないようにしましょう。

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